光星学院飲酒で問われる野球留学の是非

発覚後:http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110823k0000m040055000c.html
発覚前:準V光星ナイン 母校凱旋に600人出迎え「頑張って良かった」― スポニチ Sponichi Annex 野球

一昨日高校野球が終わりました。今年はエラーやミスが目立ったが試合展開は見ていて楽しいものがあった。
東北勢は光星学院が準優勝だったが、今年は悲願の東北地方への優勝旗をと云う気持ちは自分の中ではいまいち盛り上がらず、決勝での敗退は一方的な展開だったこともあり、とてもあっさりした気持ちで見ていた。
それでも東北勢の健闘は、直接の被災地ではなくても東北で育った球児ではなくても東北の人たちの気持ちを潤した、はずだった。
そんな中、またしても残念な事実が発覚する。東北の人たちは偽りの感動を掴まされていたのだろうか。

光星学院の決勝進出が決まった時、ふと思った。
東北勢の優勝があるかもしれない。
でもこうも思った。
東北に優勝旗をもたらすのは彼らでいいのか、と。

野球留学が悪いのではない。野球留学はたしかに東北のレベルを上げた。
東北出身の私は、彼らも故郷を離れる代償を払い、それなりの覚悟できている。それは認めて受け入れるべきだ
そして何より弱い東北勢のイメージを払拭できると野球留学に対して肯定的にとらえていた。

だが甲子園の雑誌で光星学院の選手の出身地を見た時、また彼らが白河の関の重い扉を開くヒーローになる可能性が増すにつれ
複雑の思いには嘘をつけなかった。
不祥事が明るみに出た今、彼らは被災した東北にとって招かざる勝者だったのかもしれない。

野球は上手くなって日本一にも近づいた。有名にもなったし、郷里の関西でかっこいいところも見せた。
そして東北はそのお膳立てをした。
彼らが東北の夢に乗っかり、東北は彼らの夢に乗っかった。

しかし強さを欲して勝利へ突き進むプロセスの中で見過ごされたものがあったのではないか。
人間形成(by野村克也氏)はできていたのか?
勝ち進んで有名になりいつ注目されてもおかしくないように、野球人である前にひとりの人間として磨かれていたのか?
ただ強くなればいいわけじゃないし、結果を出せれば何でも許されるわけじゃない。

野球留学で東北に来てもらった、来てやった、優勝させてもらう、優勝させてやる。
今回の出来事はそんな利害だけの関係は止めにするいい機会かもしれない。
震災と原発事故があり、来年度からは簡単な気持ちで東北に来る高校生は減ることだろうが、
東北の底力は被災した子どもたちにこそ見せてほしい。

正直なぜこの事実を予選前に見つけて、しかるべき高校の球児に甲子園、決勝の舞台に立たせられなかったのかと思うと非常に残念でならない。
高野連には全国の高校球児、野球関係者とファンに納得のいく説明と処分を望みたい。

東北への優勝旗、白河の関越えを夢見るのもいいが、そればかりを追い求めた結果がこれでは本末転倒であり、今は一休みしたい気分だ。
もちろん野球留学すべてが悪いのではない。
しかし口だけでなく東北を背負って立つ人間でなければ、
球児と東北の人たちが同じ夢を描くのはとても難しいことだ。