涙そうそう特別プロジェクトドラマ特別企画「広島・昭和20年8月6日〜その一瞬まで夢に生きた美しくもせつない3姉妹20日間の物語」

長澤まさみ目当てで見ました。ある意味不謹慎であること分かっております。彼女の作品を観るのはセカチュー以来でしたが、安心して見てられますね。なんかしばらく息を潜めている時期を挟んで、最近映画にTVにCMに雑誌にとお目にかかる機会が俄然増えてきましたね。九月に入れば「タッチ」も公開ですし。
でまあ戦後60年でそういった企画のドキュメントやドラマは大抵終戦記念日がピークでこの時期にはあまり扱われなくなる感がありますが、逆に八月最終週に放送したのは新鮮でした。それも失礼な話ですがたいていが高校野球と時期が重なってしまい、毎年15日12時から30秒の黙祷で終わってしまうのが例年のことのように続いてましたから大きかった。
でまあ中身は他愛もない日常の連鎖で、戦時中にしては現代劇に近いテイストで23時くらいまで来てしまいましたが、正直昭和20年とか戦争に抱いてるイメージと違っててこれが広島においては現実だったのか終盤に繋げる演出だったのかはよく分かりません。朝鮮の扱いは明らかに緩かったというか随分配慮してるな、こんなもんじゃなかったでしょと私でさえ思いましたけど。「おい、丸山〜」@金八7(同じ福澤克雄の演出だから?)の兵隊が必死でまさみちゃんと朝鮮を追い回してましたが、あの人も死んだんだな…と。
で、いつもこういう話題書かないのに何故書いたかというと、戦後60年蘘國神社の問題は氷山の一角に過ぎないというくらい中国や韓国の人には今も根強く反日感情が残っています。60年ですから当然親から子、子から孫へ消えるどころか深くなるくらいにいくら日本と親しくなったとしてもこの溝だけは埋めることはないでしょう。一方日本は60年前の8月6日原子爆弾を落とされ、恐ろしいことにこの3日後、もう一つ長崎に落とされているんです。米国から。何でこういうドラマに触れて私達に反米感情は湧かないんでしょうか?そもそも侵略と敗戦の違いとか、戦後米国が統治していたとか、日米安保の歴史とか、反米思想を持てとかこういうことを言いたいんじゃないんです。なぜ我々の世代が反射的に怒りを満たすような体になってないことにあまりに驚いたからです。平和・核廃絶・戦歿者の追悼の念は一年に一度や二度は抱いていろんな形で引き継ごうとしているのに、悲しみに裏にある仇への怒りの元になるような要素を祖父母の世代は我々に渡そうとしなかったのか。愚問かも知れないしこれこそが平和ボケなのかも知れませんが、あえて戦地で散った男を中心に描かなかったこのドラマだから特別そう感じたのかも知れません。
とにかく広島県産業奨励館跡こと原爆ドームと慰霊碑にはどんなに遠くとも一度は手を合わせに行くべしと思いました。