銀魂 第61話「闇夜の虫は光に集う」

紅桜編完結!!

いやー、なんかもう映画みたいでした。4部構成なんで十分劇場版に匹敵する大作でしたね。先週と今週の引き付けは凄かった。紅桜編のヅラは超カッコいいとは伝に聞いてたんですが、石田さんが期待通り最高の演技をしてくれて、穏健派に下ってとにかく逃げ回ってる感じの桂小太郎の志とは何ぞや?という答を明快に出してくれた気がします。よく実在の幕末の志士で青雲の志という言葉を聞きますが脱出に成功した桂と銀時が見ていた空がそんな感じで、何かその先に見据えている世界がはっきりとふたり別々だとしてもあるんでしょうね。別に世界を変えるとか大きなことじゃなくても一人でも守りたいやつがいればこれが今の彼らにとっては攘夷以上にかけがえのないことなのかも知れない。

OP

いつもと違う銀魂ロゴに修羅超短いヴァージョン。イエイエ。

Aパート

原作にあるかどうか分からないが、闇夜の虫=鬼兵隊は光=高杉に集うというサブタイと関連づけて似蔵らが集まった理由に少し触れる。もうついて行ったら闇には戻れないと。とはいえ高杉を指す光は集まる虫が蛾と言ってるように夜中の妖しい光なんだな。高杉なんでこの光は街灯とか夜の歌舞伎町のネオンサインとかよりはカリスマ性に近いと思うが、銀時の放つ光が眩しいというのならやはり前者(あくまで夜と朝の対比)か。「陽はまだ昇る」⇔「闇夜の虫は光に集う」も何となく対極の感じ。光は光でも陽光ではないことがミソ。銀さんが夜の世界から朝の世界に来たというのは「修羅」のアニメーションがなによりも雄弁に語っています。
Aパートの話してるんだっけ。紅桜が似蔵を取り込んでまさかあそこまでなってしまうとは。サンライズのロボットアニメかこれは、というかこれぞサンライズの見せ場でしたね!変平太さんが血を吐くシーンはちょっとリアルすぎやしないかと思ったが。いつも木刀で真剣と戦ってる銀さんでも今回はスケールが違っていて、似蔵が紅桜を制御できなくなっていたことでギリギリ張り合える勝負に持ち込んでいた感じです。それに剣を打った兄妹の魂の差が上手く絡まってて、先週の剣の装飾ネタだけ決して終わらない凄さを感じました。銀さんが全てを排除して職人を目指してきた鉄矢に職人気質気取ってんじゃねえというシーンはなかなか爽快でしたが、やっぱりいわゆる上質を知る職人ってのは心に遊びを持っていたり、実際遊び好きだったりアンテナを持っている人は多いです。鉄矢は職人というよりは江戸のマッドサイエンティストという感じだったね。一人でも守りたいやつがいればとさっきも書いたが妹を守れたことはきっと満足しているはずだ。でも名匠の家に生まれ、父や妹と比べられるプレッシャーが彼を闇夜の虫にしてしまったことは惜しまれることだ。

Bパート

紅桜は破壊されたが銀時、ヅラ、高杉の攘夷仲間三人がようやく会しある意味一番の見せ場。桂は高杉からもヅラ呼ばわりとは。ヅラに初めは一緒だったのにな…とか切ない台詞言われるとアスラン・ヅラみたいだ。高杉は修羅とかBGM等の演出で作ってきた無言の威圧感が凄くて、ちょっとしゃべりすぎな気が。言ってることも松陽先生を奪ったこの世をぶっ壊すとかあんまカッコよくないから、普通に彼も人の子かと思わせる発言は自重してイメージビデオで売ったほうがいい感じだ。まあ高杉の思想は一番わかりやすくて純粋なんだろうけどね、なぜエリザベスと一緒にいるかからいちいち説明が要るヅラよりずっとわかりやすい。ただ松陽先生の死の時点で思考が止まっているのがイカンわけで。鉄矢もそうなんだよな。思考が常に動いているやつが破壊と喪失を唱えた点ではルルーシュがものすごく斬新だったわけだ。(彼がどういう結末をたどるかはまだわからないが)
高杉は万斉さんに天人を呼んで来させ、以前(そんなことあったのか?)の復讐に借り出してきたらしく、桂と銀時がそれに立ち向かうシーンのバックで「修羅」が流れてもうボルテージは最高潮に!「修羅」はホントに当たりましたねぇ。EDはただ販促の為惰性で1クール交代しているものだという通例に沿いながら、それを上手くプラスに転じた。また長編が来るときはこれやるといいかもな。でもそう簡単に紅桜編×修羅を越えるタッグは出ないと思う。さすがに銀時V.S.高杉の真剣勝負は実現しませんでしたが、まだ原作でもないと思うけどいつか決着をつける、そんな日が来るのだろうか。

ED

1年目最終話に倣いED,OPを交換して流す方式。ということで「銀色の空」だったわけだが、これがラストに素晴らしく合っていたな。紅桜編の間はアバンとAパートの間でひどく浮いていて何とかならんのかと思っていたんだが、見事にニーズに応えてくれたように思う。エンドロールで4話分の回想シーンを流せば、完璧映画仕立てでしたね。もとより映画化せずにテレビでやってくれる銀魂が私は好きなんですけどね。