銀魂 104話「大切なものは見えにくい」

泣いた。伊東があまりにも自分と重なったことに…。理解者、彼女でもいればこんなことにはならなかっただろう、まあ友達もいない奴に彼女など…のような上辺の論理ではなく、伊東にも友達が仲間ができたのに、こんなことをしてから自分の愚かさを悔やむ事になるという展開にグッと来た。それに気付けるやつ、赦せるやつは人間の器が出来ているし、高杉にも仲間を売るやつは初めから駒と見られていた伊東は滑稽であるのだが、その悲哀というか人間臭さが何とも沁みたね。空知氏は人をよく観察してるなって思った。
動乱編はここまで土方氏もといへタレオタクのトッシーが道化の役回りで、気の毒だなと思いつつ笑っていたものだが、前3話の土方のことさえ吹っ飛ぶほど今週の伊東は道化であり、気の毒であった。剣に呪われた土方にひたすら皮肉を放つライバル、冷静沈着にしてあの真選組を壊さんとする強敵としてしか見ていなかった伊東が一話にしてこの有様だ。それが素の伊東そのものであり、全く笑いがない分一瞬にして崩れ去る伊東の虚像はリアルで逃げ場のない痛さを伴っていた。しかも子供の回想シーンが追い討ちをかけるものだから、敵だったやつが異様に可哀想になってくる。今9代目のEDでみんなの子供時代の幸せなシーンが流れているが、これがまたじわじわ効いてくる。親に愛されず、無理に背伸びして育った少年は、やがて誰も信じられなくなったように見えて、心の底では人とのつながりを渇望するようになっていた。人を愛せないというより、信じられないんでしょうね。アイツは俺とは違うと一度思えば距離が縮まるわけないし、大人になれば人に腹割って話すことにも段々抵抗が出てくる。幼馴染とか悪友がいれば、また違うけど、そういうやつに限って気がつくと誰もいない。上手くいかなければ僻み、人に背を向け最後には牙を剥く…こういう悪事で自分を誇示しようとケースは今の犯罪とも通じていて怖いのですが、伊東の計略でどれだけ犠牲者が出て、真選組や万事屋、鬼兵隊までも巻き込んで幾多もの血が流れ、人と人が心も体も傷つけ合う惨事が起きたとしても、それは伊東にとってS.O.Sのシグナルでしかないわけです。
伊東は結局、真選組を庇って、自分の命で落とし前をつけようとするのだろうけれど、それはどちらかというとジャンプイズムの世界かな。銀さんだったら、生きて生きて恥も全部晒して這い蹲ってでも生きろといいそう。でも今回の罪と伊東の器の小ささを鑑みれば、死をいう結論にしか行き着かないような気もする。何か良い出逢いがあれば、と悔やむばかりだがそれを拒んでいたこともまた罪のうちだろう。高杉との違いに関しては、松陽先生やかつての仲間とのつながり、生まれ持ったカリスマ性、自分を客観視できているかの三点だと思う。三点目が意外とデカイ。子安高杉は紅桜から約一年だからそれ以来の登場か。伊東と河上の回想シーンのみだったが、相変わらずものすごいインパクト。スクリーンをも抜けるカリスマ性ってやつですか。
銀時の相手はあろうことか双子を授かったロックな寺田先生がモデルの河上氏(羽賀氏に続いてまたもタイムリー)。交渉役が続いていたので戦闘シーンは初めてと言ってもいいでしょうが、ギターの弦で動きを止める攻撃はなかなか残酷。しかもそれを構わず力で千切ろうとする銀さんから飛び出る血の演出が!これがミツバ以来の佐藤作画の底力か。演出も包み隠さずここまでやってのけると芸術。そんなところに憧れるぜ銀魂。しかも眼が生きてましたね、銀さん。真選組が仲間とか高杉が黒幕とか、そんな理屈すら越えて白夜叉が覚醒した感すらあります。動乱編ではまだ対峙しないであろう高杉と相まみえる頃、銀さんやスタッフがどうなっているかと考えるとゾクゾクする。もちろん来週の完結話も楽しみにしています。