僕等がいた 第25話・・・

来週の26話で終了でしたね。すみません先週紛らわしいこと書いて。
そもそも勘違いのきっかけは消化ノルマとなる原作の話数だったもので、そこで生じるマイナス一話分というのが今日の感想のポイントです。ショックでしたね。矢野の東京行きのことかって?まあそれは終わり近いこと鑑みれば、アニメ観てた人でもそんなに意外ではないと思います。やっぱりどうして一緒じゃダメなの?というのはありますが。いわゆる悲恋というのであれば、矢野に選択の余地を与えず、絶対東京に行かなければならないことを母親にでも言わせればいいんです。でも時代劇とは戦時中の話みたいに白黒勝手についてはくれない、自分で未来を選ぶ余地の残されていて今ならどちらにでも行けることが返って当人達を苦しませる、これは成長の糧でもあり、青春の1ページであるにしても、なかなかに残酷なことだと10代にしては重たいということを作者はここで言いたいんだと私は思っています。
ここからは原作とアニメを対比した私的にはこっちがショックな話。残りはあと一話、粛々と原作の忠実にアニメ化していただいて、それがあたりまえと甘えていた今日この頃、しかしラストを前にしてあろうことか梯子を外されてしまいました。もうね、うんざりするくらい一緒なんですよ(褒め言葉)、あのホラーみたいな片目の演出とかも原作をそのまま書いてカラーにしてるから怖い人に見えるわけで。でも知らないうちにそれが安心感に変わっていた。もうゴール近いんだからやっぱり最後まで通して欲しかったな。悔しいんで気の済むまで書きます。あまり需要ないと思うけど。

変更シーンその1:矢野が真夜中に高橋の家の前に来て電話してくるシーン(Bパート)

矢野はこのシーン、実は完全に酔っています。中の人の演技なんか声デカくてもう酔っ払いモードなんですが、高橋の「矢野ちょっと息ハァーやってごらん」というくだり以下飲んだとか酔っぱらい系の台詞が全部カット。テレ東規制とか規制といえばエロと思いがちですが、未成年飲酒規制ですかこれは?とかテレ東より緩いはずのUHFなのにそんなのあるんだ。今に始まったことじゃないのかこのご時世だからかは知らないが、ここは大事なシーンなんだしさ。矢野が高橋にプロポーズと重大な決意を言う公園のシーン。矢野は翌朝夕べのことは憶えていないというんだが、ここが不自然で。なんで記憶がないのかは酒のせいにするのが自然だし、酒飲んでないなら高橋は矢野を家の中に入れてるだろ(寒いし)ということになるわけで、急にいじると簡単に辻褄が合わなくなりものだな。そうでなくても会話の言葉の裏から本音や気持ちの動きを読んでいかなきゃいけないのに注意がそっちにばかり行ってしまう。

変更シーンその2:矢野のクリスマスプレゼント

矢野が高橋にするクリスマスプレゼントは高橋と離れる決意をした矢野の気持ちを形にしたもの。一方で付いていくことにした母親には対価として小遣い2万(金額は放送でカット)を要求し飲んでもらってます。そのプレゼントが温泉一泊旅行→日帰り旭山動物園ツアーに格下げになってたのだ…これは萎えたな。この条件じゃ松坂契約しないで日本帰ってきてるよ、マジで。カネとか規模じゃない、それもわかるけど…飲酒に次いで外泊規制ですか。まあ尺の問題で1話分カットというイヤな予感もおそらく的中。普通に外泊旅行での2人のやり取りとか聞きたかったのもあるし、酒が入るとかちょいエロシーンが入るとかですぐ反応するのはナンセンスなのにな、お上って言うヤツは全く。制作サイドも腰引けちゃったな。日曜朝にあんなにどす黒いアニメ平気でやってるって言うのに。

まとめ。

まあ最終話は7割はオリジナルと思っていいでしょう。ラストも微妙になってきたな。今日流れたEDとか27日にピンで発売されるらしくてホントにいい歌だ、とかアニメ化が生んでくれたものは計り知れないから、てかアニメに興味持たなかったら原作まで手出すことはなかったし。ここにも何も書いてもいないだろうし。原作先読みするとこういう現象が起きるんだってもの初体験だしな。ただ11巻の続きが読めるという触れ込みに引っ掛かって読んでしまったベツコミの内容とか思うと、どう逆立ちしても動物園で日帰り旅行じゃあ“僕等”はきっと割に合わない、あの時外泊してたらと後悔してるよと重ね重ね思うのでした。