true tears 〈終〉第13話「君の涙を」

おめでとう比呂美!

いや〜ホッとしたのと嬉しいのとで、とてもよい最終回だったと思います。比呂美エンドでやった!と跳ね上がる気持ちより、すごく安心できたって感じ。奇を衒わず丁寧に作っていました。最終話なのに時間がゆっくり流れていたというか、感情の起伏・突飛な行動を極力抑えて、それぞれが自分を見つめなおす地味ながら堅実な話しの運びでした。しかし29日付けに書いた直前記事と思いのほかリンクしてビックリ。名塚神話は見事に的中したし、エネルギーもしっかりいただきました。

比呂美について。さすがに10話が過ぎて以降は重い展開で厳しいのかなと思っていて、今日13話でも眞一郎がアパートを出て行ったところでもうダメか、と観念しました。あそこが比呂美の最後のカットとなって、あとの時間は乃絵とのことに専念という予想すらありました。少し進んで比呂美が仲上家を訪ねたところでちょっと息を吹き返し、眞一郎との会話でこれは!という感じでした。前の経緯があるので、なかなか安心は出来なかった。眞一郎が決意して比呂美のアパートへ言ったのにいない!というだけでちょっと、まさかみたいな(笑)
西村純二監督は純粋に比呂美好きだったんですよ。終盤の展開を修正したという話しも流れているくらいでして。サービスショットやバスケの描写、そして監督イチオシの高橋理恵子さんをママン役に据えての比呂美との確執、和解そして同志へと至れり尽くせりで、今思えばどうしてもっと自信が持てなかったかと思います。なぜ持てなかったかというと監督がそれを悟られまい悟られまいとたくさんの障壁を作って視聴者〈主に比呂美ファン〉の不安を煽ることに事欠かなかったからです。ライバルとしての乃絵、ニセ兄妹設定、4番の存在や11,12話のちゃんとしない眞一郎…全部そうです。次回予告や公式の予告画像からミスリードによって生まれた幻のストーリーも数知れず。
ただ眞一郎が気になっていたのが一貫して比呂美だったことは、13話放送前にも書いていたし、もう一度最初から見れば間違いないです。眞一郎には昔は仲良かったけど、同居する頃には学校では優等生でスポーツ万能、でも家では縮こまって必死に自分を抑えているという認識で、好きだけど、ママンの手前もある、敷居も高い、自分を好きかどうかも自信のない…と思いながら比呂美を見ていた。最終話より盛り上がりでは上だった10話のラストはそんな眞一郎のターニングポイントという位置づけができます。11,12話でのことは放送当初はとてもそうは思えませんでしたが、[絵本と祭りを達成することで自信をつける=ちゃんとすることだった→絵本と祭りに関しては8話での乃絵との約束があるから、それも果たして責任を持つ→しかしこのマジメさが仇となり、比呂美と視聴者には乃絵に靡いたとの誤解を与えた]という解釈が出来ます。絵本=乃絵ではない証拠として度々眞一郎の父親が絵本のことを気にかけていますし、1話で乃絵に会う前に絵本を出版社に出して、すでに選考に落ちています。最後まで見終わった以上後付ですが、とりあえず絵本を書く、絵本作家を目指す当初のきっかけは乃絵ではなく、彼の趣味です。乃絵がしたのは題材・ヒントをくれた、背中を押したことです。この構図がこじれて絵本=乃絵エンド確定とか言われたのはスタッフの確信犯です。だいたい毎週目まぐるしい展開、絶妙の引きの繰り返しではこんな冷静に分析など出来るはずもないですから。比呂美へのフォローはざっとこんな感じ。

乃絵について。兄貴以外で始めて彼女の門を叩いたのが眞一郎だったのだと思います。乃絵は人を見る目が確かで、なんでも見抜きます。「あなたが飛ぶ場所はここじゃない」も眞一郎を突き放したように聞こえますが、彼女にとってそのまま感じたこと以上でも以下でもないんです。でも自分は所詮評論家だということにだんだん気がついてくる。深く付き合う前に客観的にあの人はこう、この人はこうって器用に品定めして決め付けちゃうんですよね。雷轟丸と地べたの区別によく表れています。でも一人称ではどうか?となるとそれが欠けていてそこに段々迷いが生まれてくる。単に眞一郎に対し鶏と同じアプローチで始めたことが、完全には思い通りにはならない人の意思に触れ、恋という感情まで芽生えさせる。8話までは新鮮な世界に踏み出して、とてもポジティヴに働いていますが、元の自分の世界との齟齬に苦しくなり、葛藤が生まれる。
眞一郎には比呂美が輝いて見えていたのと同様に、乃絵には眞一郎が輝いて見えるようになってきたようです。絵本も頑張っている、祭りも頑張っている、別の女の子ともちゃんと付き合おうと頑張っている…8話のときは楽しみだった絵本も祭りも、12話の頃には飛べない自分を忌む重荷に変わってしまったのかもしれません。
以前乃絵も絵本書きだったらな、みたいなことを書いたんですが、絵本に限らず彼女に熱中する“何か”があったら展開は違ったと思います。(比呂美がバスケ頑張ってるのとは対照的。)例えば『耳をすませば』の聖司に対する雫みたいな夢や努力に向かう子だったら、まああんな感じになるでしょう。でも内へ内へそれこそ自分の世界を戻り、籠ってしまう方向へ行ってしまった。それでも眞一郎みたいに、という気持ちだけが空回りでして地べた飛ばしたり、自分で飛んだりするんですね。鬱になった時の描写が比呂美は皮肉・卑屈なのに対し、乃絵は衝動的で電波めいていたのはかなり損だったと思います。眞一郎は最後に絵本を見せて、内の世界からもう一度乃絵を引き上げてくれた―眞一郎は今までで一番真剣な目で湯浅比呂美が好きだと私に言ってくれた。私もいつかそんな風に言える日が来るまで…この別れを自分の足で歩いていく始まりにしよう―乃絵が松葉杖を突いて眞一郎のいるバス停から遠ざかっていくシーンは痛々しくも清々しくもありました。眞一郎と関わって知ったことは「誰かを愛するためには、もっと人と打ち解けてコミュニケーションの修行せい」ということですかね。
しかし乃絵のテーマが祖母、兄、眞一郎と続いてきた依存からの脱却=自立にあったとは…ラスト、エンドロールに女友達と話す乃絵、鶏小屋の前にたち尽くす乃絵は変化と自立を象徴付けています。さすがに石のことはね…もっと感動的な仕掛けの案もあったでしょうに、いい思い出としてですかねぇ、苦さも痛さも飲み込んで葛藤を超克した末に流す涙が彼女が取り戻した最初の涙というまとめ方、私は好きですが。この話ではいろんな人がいろんな涙を流しましたが、苦労して一山二山越えて自然とあふれ出る涙には味があるというか。あるいは自立したのを見届けてばっちゃが涙を乃絵に返してくれたと解釈したほうが自然でしょうか。
元はと言えばキャッチコピーはは涙を失った女の子の話だったか(遠い目)涙の話はどこへ消えたの?と言われて久しく、無理すればラストで辛うじて繋がったと言えましょうが、さすがに涙は後付の謗りは覚悟の上でしょう。1話で泣けず、8話で泣かず、最後に泣いた。成長の証と見るなら、一人の女の子の成長物語でもいいんだけど、如何せん比呂美と後半の扱いが逆転してましたから。もう少し細かに心情の変化を描けていたら、アナザーストーリーとして成立するのでしょうけど。

愛ちゃんに関しては、カンベンしてください(笑)もう諦めていたんで大丈夫ですよ。何のために出てたんでしょうねとか思ってませんから。野球に譬えるなら、バントでランナー進めたい場面でピンチヒッターで出てきて、バント失敗してそのままベンチに下がった選手みたいな。
true tearsのヒロインは劇中の登場人物とより多くの関わりを持っている方が圧倒的に有利でした。出現場所や面識ある人が限られていると、いくら可愛くても話に入り込んでいけないんですね。勉強になりました。
はみだし情報としてはキャラクター原案の上田夢人さんのブログでそろそろ「あんどうあいこのつくりかた」がアップされる頃。上田さんの予告コメントやサイトのTOP画像が長らく愛子であるあたり、結構思い入れが強いように感じるんですけどね。乃絵・比呂美の記事でも裏話をぶっちゃけてくれているので、もしかしたら扱いについてブログで言及してくれるかも知れません。あとDVDの2巻に愛ちゃんのキャラソンがついてくるそうです。どうして愛ちゃんなの?なんて聞かないで下さい。案外名曲だったりするかもよ。以上本編にかすりもしない愛ちゃん情報でした。アニメのゲーム化か続篇で、現実的なラインだとドラマCDで再会できることを祈りつつ、また逢える日まで。リフレクティアッー!